kimamanikakuの日記

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東欧民主化の発端

ポーランドは、1942年に共産党が再建され、それ以降ずっと共産党の独裁体制にある社会主義国家であった。今回は、ポーランドの体制転換、つまり社会主義国家から民主国家になる過程を見ていく。

大戦後のポーランド政府は、経済発展のために西側諸国から多く借金していました。しかし経済はうまくいっておらず、多額の対外債務を抱えていた。そこで政府は食糧価格を引き上げた。

これに対してデモが起こり、ワレサを代表とした自主管理労組「連帯」が組織された。これは初めは労働運動を行っていたが、次第に民主化を目指す政治的団体となっていった。深刻な経済状況のもとで「連帯」の勢いは増し、やがて1000万人を超える労働者が活動に参加するようになった。共産党一党独裁を倒して民主化を目指す「連帯」。ポーランド共産党は当然この団体を抑圧しようとした。議長のワレサは捕らえられ、連帯の運動を禁止し、戒厳令も発布した。ソ連の方もこの団体を反革命勢力と捉えており、この民主化運動が他国へ広がることや、ポーランドワルシャワ条約機構から脱退することを警戒して、軍事介入も検討していた。

ここで転機が訪れる。1985年に書記長に就任したゴルバチョフが、東欧社会主義圏への内政不干渉を宣言したのである。これは新ベオグラード宣言と呼ばれる。これにより、東欧諸国は独自の政治改革を認められたのである。

その後1989年にポーランドで行われた選挙で連帯は圧勝し、共産党一党独裁が倒れた。ゴルバチョフによる新ベオグラード宣言と、このポーランドでの民主化を皮切りに、民主化運動は東欧諸国に広がっていった。