kimamanikakuの日記

自分が面白いと感じたことを記事にしています。

曲がった空間での慣性の法則

曲がった空間での運動を定式化しよう。初めに導出すべきは慣性の法則であろう。ミンコフスキー時空における慣性の法則\dfrac{d^2 x^{\mu}}{ds^2}=0 であった。

いま、曲がった4次元空間において座標をx^{\mu}とし、 それぞれの基底ベクトルを\boldsymbol{e}_{\mu}としよう。 このとき、この時空上のベクトルは  \boldsymbol{A} = A^{\mu}\boldsymbol{e}_\mu と表せる。慣性の法則を求めるには、 A^{\mu}=\frac{dx^{\mu}}{ds}とすれば、これを時間微分した結果をゼロとすればよいだろう。ただしここで注意が必要である。曲がった空間における微分は、 \boldsymbol{R}^3やミンコフスキー時空での微分とは少し事情が違うのである。

このベクトルの変化は、次のようになる。

 d\boldsymbol{A} = dA^{\mu}\boldsymbol{e}_{\mu} + A^{\mu}d\boldsymbol{e}_{\mu}

 \boldsymbol{R}^3やミンコフスキー時空では、基底ベクトルはどこでも同じであるからd\boldsymbol{e}_{\mu} = 0であった。しかし曲がっている時空では、場所によって基底ベクトルが違うから、この項は必ずしもゼロにならないのである(例:地球の表面で暮らすわれわれにとっては、基底ベクトルとは東西方向と南北方向、そして上空を向く3つのベクトルであるが、東京とロンドンでの基底ベクトルを宇宙から眺めてみれば、これらは実際には全然違う方向を向いている)。とはいえこのd\boldsymbol{e}_{\mu} = \dfrac{\partial \boldsymbol{e}_\mu }{\partial x^{\nu}}dx^{\nu}も4次元空間内のベクトルであるから、4つの基底ベクトルの線形結合で表される。そこで係数を次のようにとろう。

 \dfrac{\partial \boldsymbol{e}_{\mu}}{\partial x^{\nu}} = \Gamma^{\lambda}_{\mu \nu}\boldsymbol{e}_{\lambda}

この\Gamma^{\lambda}_{\mu \nu}をクリストッフェル記号という。これは空間が曲がっているがゆえに生じる係数であって、曲がっていない空間であれば\Gamma^{\lambda}_{\mu \nu}の成分は当然すべてゼロである。これを用いれば、

 d\boldsymbol{A}=\left(dA^{\mu}+\Gamma^{\mu}_{\lambda\nu}A^{\lambda}dx^{\nu}\right)\boldsymbol{e}_{\mu}

と書き表される。つまり、曲がった空間では、ベクトルの成分A^{\mu} の微小変化はdA^{\mu} ではなく,  dA^{\mu}+\Gamma^{\mu}_{\lambda\nu}A^{\lambda}なのである。曲がった空間での微分A^{\mu}_{;\nu}と表せば、

A^{\mu}_{;\nu}=A^{\mu}_{,\nu}+\Gamma^{\mu}_{\lambda\nu}A^{\lambda}

となる。これを共変微分という。

これをもとにして、曲がった空間での慣性の法則を導こう。速度を表すベクトルを  A^{\mu}=\dfrac{dx^{\mu}}{ds} とする。求めるべき式は、「速度の時間微分がゼロ」という形であり、また相対論では時間で微分する際は運動物体の固有時間を使うことから、

 \dfrac{dA^{\mu}}{ds}+\Gamma^{\mu}_{\lambda\nu}A^{\lambda}\dfrac{dx^{\nu}}{ds}=0

したがって、次の式を得る。

 \dfrac{d^{2}x^{\mu}}{ds^{2}}+\Gamma^{\mu}_{\lambda\nu}\dfrac{dx^{\lambda}}{ds}\dfrac{dx^{\nu}}{ds}=0

これは測地線の方程式と呼ばれる。 これを、ミンコフスキー空間での慣性の法則を見比べれば、ここでもやはりクリストッフェル記号は時空の歪曲を表す役割を果たしていることがわかる。

物理学史の授業にて

今期の物理学史の初回の授業に出たので、その感想を。
時間ギリギリで入室したので、やむなく最前列に座って授業を受けた。「この中にプリンキピアを読んだことがある人は?」と先生が聞いたけれども、他に誰も手を挙げなさそうだったので、「以前、ほんの少しだけ」と答えた。するとそれ以降、ときどき授業中に話を振られるようになった。その中で一つ、考えさせられたことがあったので書きます。

先生「...このように、近代科学の歴史はたかだか数百年なのである」

僕「それはプリンキピアをその原点にとるからであって、例えば古代エジプトの測量をはじめにとればもっと歴史としては長くなるのでは?(今になってよく考えたら、測量が科学といえるのか微妙な気がしてきた)」

先生「そう、その通り。しかし、プリンキピアを持って近代科学の始まりとする見方は多い。それはどうしてだと思う?」

僕(考える)...どうしてだろう。

物体の衝突や惑星の運行などの力学の計算ができるようになったからか?
いや、古代文明にも日食などの計算ができるものもあったと聞いたことがある。それに、力学だけをもってして「近代科学」といえるのか。しかも、彼がプリンキピアに記した運動の三法則は、いずれも彼が最初に言い出したことではなく、ガリレイホイヘンスなど、彼の前から提唱している人間がいたはずだ。

では、こういうのはどうだろう。ケプラーの法則を例にとる。万有引力の法則は、ケプラーの法則について理論的な説明を与えた。つまり、単に「惑星は楕円軌道を描く」という説明(how)だけでなく、「なぜ楕円なのか?」という理由づけ(why)まで含めて記述したのがプリンキピアである、というもの。

しかしこれもおかしいのではないかと思った。なぜなら万有引力の法則に対しては合理的説明が与えられないからだ。確かに、万有引力の法則を仮定すればケプラーの法則を導く(つまりhowだけでなくwhyも説明する)ことはできる。しかし万有引力の法則についてはhowだけでwhyが欠けているから、結局本質的に何も変わっていない。

ここで、哲学サークルの先輩が以前「科学も一種の宗教なんだよ」と言っていたことを思い出した。これについてはまた記事を改めて考えをまとめようと思う。

バイトが当日キャンセル

今日、14-22時で単発のバイト(派遣)を入れていたんですが、朝電話が来て「今日のお仕事なんですがキャンセルになりましたので、行かなくて大丈夫です。当日キャンセルですので、交通費を除いたうち60%の給与が振り込まれます」とのこと。えっ!と思って「えぇ、給料出るんですか?」と聞いたら「はい、当日キャンセルですから」だって。まじかい。そんな制度あるのかよ最高すぎだろ!

したがって、僕は今日何もせずに6000円を手に入れました。万歳。

3月を振り返って

この3月は人生で一番勉強した。やっていたことは主に量子力学相対性理論。1ヶ月程度ではそんなに進まなかった。

 

特殊相対論...一通りはやった。読んだ本は、砂川重信「相対性理論の考え方」とアインシュタイン相対性理論」。数学的には易しい理論だが、物理的なところではまだ色々と疑問がある。たとえば、アインシュタインの原論文でのローレンツ変換のところ。光の波面について、ある慣性系からみた(x,y,z)と、別の慣性系からみた(ξ,η,ζ)の関係式(ローレンツ変換の式)を求めたあと、それを何かの物体の運動にも適用しようとしているが、このローレンツ変換の式は光の波面で成り立つことはわかっているけど、それ以外の運動でも成り立つ根拠はどこにあるのか?

 

一般相対論

シュバルツシルト解まで。しかし重力場の方程式の導出はまだきちんと追えていない。リーマン幾何学については色々と疑問というかなんとなくしっくりきていないところもあるが、それは実際にアインシュタイン方程式の解を求めて色々と計算していくうちにわかってくるんだと思う。新4年生の先輩のゼミに参加させてもらえて、とても勉強になった。読んだ本は須藤靖「一般相対論入門」、W.パウリ「相対性理論」、ディラック一般相対性理論」など。

 

量子力学

なんか変だなと思いながら勉強を続けていたら、「自分は量子力学を面白いと思えていない」ということに気づいて少しびっくりした(笑)

量子力学が面白くないというよりは、教科書に形式的な話が多くてつまらないんだと思う。僕は素粒子論をやりたいと思っているので、そのためにやっているという感じ。読んでいる本は

朝永振一郎量子力学I」、jjサクライ「現代の量子力学」、岩波現代物理学の基礎「量子力学I」など。

 

 

 

目標なんて立てても仕方ないことはわかっているが、とりあえずの目安として、今年中に一通りは読んでおきたい本を挙げてみる。

 

量子力学:

量子力学I」(朝永振一郎)

量子力学II」(朝永振一郎)

現代物理学の基礎「量子力学I」

jjサクライ「現代の量子力学(上)(下)」

ファインマン物理学V

 

相対性理論:

W.パウリ「相対性理論

あとなにか、新しい本

 

場の量子論:

「場の量子論」(坂本さん)

「場の量子論I、II」(ワインバーグ)

 

など。ワインバーグの場の量子論は、夏の数物セミナーで1巻を扱えれば良いなと思っています。

 

旧石器時代

地球上に人類が誕生したのが約700万年前のこととされている(ちなみにビッグバンが137億年前、地球が形成されたのが46億年前、生物が誕生したのが37億年前である)。われわれの祖先はそれまで森で暮らしていたが、乾燥して森が減少していく環境において、二足歩行を覚えて、地上での生活に適応していったのである。

その後、やがて地球は寒冷化し、いわゆる氷河時代を迎えた。約200万年前から約1万年前のことを地質学では更新世という。この更新世は、氷河が拡大と縮小を繰り返し、火山活動や地震による地殻変動も多いという気候変動の激しい時代であった。更新世という名は、このような激動を表しているのかもしれない。

では、このような変化に富んだ更新世では、人類はどのような暮らしをしていたのだろうか。地上での生活に適応した人類は、石器を使うようになっていた。この頃使用されていたのは、石を打ち欠いて作った打製石器と呼ばれるもので、この打製石器に象徴される時代を旧石器時代と呼ぶ。旧石器時代においては、土器や弓矢も用いられていなかったし、農耕も行われていなかった。人々は狩猟や採集、漁労で食料を確保していた。そのため、年間を通じて気候が変化しない熱帯などを除いては、食料を求めて季節的に移動せざるを得なかった。

では、日本に目を向けよう。この更新世(激動の氷河時代)に、日本には人は住んでいたのだろうか?また住んでいたならば、どのような生活をしていたのだろうか?

(もちろん当時「日本」という国はないしそもそもそんな言葉は存在していない。だがここではこの語を用いることにする。)

今から100年前ごろまで、つまり第一次世界大戦の頃までは、「旧石器時代には日本には人類はいなかった」というのが定説だった。それはなぜかというと、更新世にあたる日本の地層から何も発見されていないからだった。それより新しい地層からは石器や土器が見つかってはいるものの、旧石器時代に人が住んでいたことを裏付けるものは何も出ていなかった。ただ、ごく少数の考古学者は旧石器時代の日本に人類はいたと主張していた。
ところが第二次大戦が終わった直後の1946年、相沢忠洋という人物が、群馬にある岩宿遺跡更新世の地層から打製石器を発見したのである。それは通説に背く発見であったが、のちにまさしく旧石器時代のものであることが確認された。こうして、日本にも旧石器時代があったことが確かめられたのであった。

進捗

力学:授業でやったとこだけ

解析力学:基本的な式はだいたい抑えた

電磁気学:マクスウェル方程式の導出と、スカラーポテンシャル、ベクトルポテンシャルの式のみ。あと電磁波を少し

熱力学・統計力学:手付かず

量子力学:朝永先生の量子力学Iを半分くらい読んだ

いまぼんやりと、今年中に一通り読み終わりたいと思っている本

量子論:
量子力学I、II(朝永振一郎)
角運動量とスピン(朝永振一郎)
量子力学(ディラック)
ファインマン物理学5
現代の量子力学 上(jjサクライ)

解析力学:
解析力学I(山本義隆)
力学(ランダウ・リフシッツ)

相対性理論:
一般相対性理論(内山龍雄)

 


この春のうちに各分野基本的なところを抑えて、夏からは素粒子論、宇宙論に本格的に取り組めるようにしたいなぁ。